ブログ・お知らせ
2013年12月
引退時、慎也さんから頂いたメッセージ入りのユニホーム。
治療室の壁にかけてある自分にとって大変貴重な物です。
11年間ナイターが終わってから自宅まで治療に行き、治療開始が早くて11時からでした。
思い出深いのは数年前にジャイアンツの優勝が決まった日、いつものように彼の家に治療に行きました。
彼は治療を受けながら普段通りテレビを見ていたのですが、いつもなら必ず見るスポーツニュースを避けるようにチャンネルを回すのです。
わざわざ聞かなかったですが、他チームの優勝を見るのは本当に悔しいんだろうなと思いました。
正直、個人トレーナーは個人成績が第一ですが、クライアントが悔しがる事は私も悔しくなり、ジャイアンツの優勝が決まった瞬間には特になかった悔しい感情がこみ上げてきたのを覚えています。
出来る事ならもう一度優勝を味わって欲しかったです。
余談になりますが、慎也さんの背番号が6
個人トレーナーとして11年
6月11日は私の誕生日です。
不思議な縁を感じます。
- 2013年12月05日
- 日記
トレーナーを目指したきっかけ
私がトレーナーを目指したのは、小学校三年生の時に足を痛め、様々な病院に通いましたが全然治らず困り果てた時に、母が見つけたスポーツトレーナーの治療を受けたのがきっかけです。
今思い出してもその先生はハードな治療をする人でした。まだ小学生三年生の私にバシバシ針を打ち、物凄く痛かったです。
しかし、三回目の治療あたりからあれだけ痛かった足の痛みがなくなってきたのです。
本当にびっくりして、いつかこんな魔法みたいな事が自分も出来るようになりたいと思いました。
この時はプロ野球選手にも憧れていましたから、プロ野球選手になれなかった時、もしくは引退したらトレーナーを目指そうと決めていました。
小学生の時は本塁打王のタイトルも取り、プロ野球選手になれるかも…なんて思っていましたがその後は怪我だらけ。おかげで?早々とトレーナーだけを目指す事になりました。
トレーナーになるには治療だけでなくトレーニングも学ばなくてはいけないと思い、高校卒業後はボディービルを始めました。大会で入賞経験もありますが、目的は選手に提供する為に自分でトレーニングを試す事でしたから大分無茶苦茶なトレーニングもしてきました。つまり自分が実験材料だった訳です。
自分が怪我して目指すきっかけになったトレーナー。もちろん若い時の自分のような選手を治して、早く野球を楽しんでもらいたいと思っています。